妻と9歳と5歳の二人の娘は茨城県つくば市に在住しております。1997年に神戸大学に赴任してからわたしの単身赴任人生が始まりました。横浜市立大学に着任したからも横浜市金沢区金沢文庫に依然として単身赴任しております。ついに結婚してから妻と同居している年月よりも別居している年月のほうが長くなってしまいました。金沢文庫は三浦半島の付け根にあって浦賀水道に面しており、神戸と同様に風光明媚、気候温暖の土地柄です。一応横浜市内ではありますが、かなり田舎っぽい風情があります。わたしは幼年時代・大学時代に合計15年間も横浜市に隣接する藤沢市に住んでいましたので、金沢文庫の街並みにはどこか故郷のような懐かしい印象があります。長女が生まれた直後に神戸大学に赴任して以来、単身赴任生活も8年間が過ぎました。今後も相変わらず単身赴任は続きますが、これでようやく、神戸-つくば往復から解放されました。1ヶ月に2回往復、移動距離は片道〜600kmでしたから昨年まで7年間の総移動距離=600×2×2×12×7=〜20万km、地球を5周まわったことになりました。(新幹線の座席に長時間座っていることが災いしたのか、一時期は肛門周囲膿瘍を煩い、膿が血管に浸み出て全身を巡り高熱に苦しめられた時期もありました。)横浜は神戸よりずっとつくばに近いので、毎週末の帰省が楽になりました。(片道3時間弱)2005年8月末に常磐新線が開通したので帰省がさらに楽になりました。(片道2.5時間)そのために毎週必ず帰らねばならなくなって、かえって大変になった?のかもしれません。
新居は職場の横浜市立大学に近接し、毎日毎晩の通勤もかなり楽になりそうです。妻と2人の娘は依然としてつくばに在住しますので、2DKの部屋を一人で広々と使っております。今後は生活のリズムを整え、食事のバランスにも注意を払い、自分自身の健康にも充分に配慮したいと思います。ろくに家具がないので畳の真ん中で大の字になって寝ています。(部屋に家具がないとほんとうに広く感じられるのもですね。同様のことが大学の実験室についても言えるのですが・・・)新居は海浜公園や称名寺の近隣にあります。水平線から登る朝日で目を覚まし、夜は人工海浜を散策し打ち寄せる波音に耳を傾け、あるいは称名寺の池の畔に憩いて一日の疲れを癒します。独身に戻ったように自由を満喫している、というのは言い過ぎですが、リラックスする時間を持つことは健康維持の上で大事です。
妻は、つくば市にある独立行政法人産業技術総合研究所・計測標準研究部門の主任研究官・理学博士であり、ICP-Mass Spectrometryによる微量元素の分析、特に無機標準物質に関する研究をしております。妻は2人の娘たちに朝食を食べさせて小学校・保育所に送り出し、日中は研究所の職務をこなし、夕方に学童保育・保育所へ迎えに行き、晩御飯を作って食べさせ風呂にいれて寝かしつけ、深夜に再び仕事をする、という大車輪の毎日を7年間以上も続けています。保育所から子供が発熱したという知らせを受けた場合には、たとえ重要な職務の途中であっても、即刻休暇をとって保育所から連れ帰り、小児科へ連れて行き看病することもあります。(わたしが言うのも甚だ照れ臭いのですが・・・)我が妻ながらよく頑張っていると思います。(よいしょ!よいしょ!)幼いときには頻繁に高熱をだしていた娘たちも、成長するに従って体力もついてきたのか、最近はそれほど頻繁には発熱しなくなりました。子供の成長に伴って、子育ては徐々に楽になってくるようです。
横浜市立大学に赴任後は、毎週末つくばへ帰省することにしています。娘たちは金曜夜のパパの帰りを歓迎してくれるので嬉しい限りですが、そのたびに御土産を要求されるのに少々困っています。毎回甘いお菓子ばかりでは虫歯になるし、幼稚な玩具ばかりでは教育上よろしくない。漫画ばかりでは妻に叱られる。土産には図鑑・文学等の書籍が最も適当だと思うのですが、娘たちには「教育臭すぎる!」と時節しかめっ面をされています。成長とともに自我もはっきりしてきました。なかなか難しい年頃になってきました。「パパ自身が読みたいから図鑑ばかりを買ってくるのでしょ?」ははは・・・ばれてしまいしたね。確かに私自身が読みたいです。恐竜・宇宙などの図鑑の内容は、私自身が幼年時代に読んだものとはまるで違っています。小惑星の衝突によって何度も古生物が大量絶滅した話には鮮烈な印象を受けます。宇宙望遠鏡や惑星探査機の撮影した天体の美しい写真には目を奪われます。学問的な研究の進歩は子供の読み物にまで、かくも鮮やかに反映されるのです。娘たちと一緒に図鑑を眺めることをとおして、私自身の探求心を常に若く保ちたいです。職場における日々の雑用と重圧に追われる身であっても、懐かしい幼年時代の純粋な知的好奇心をいつまでも忘れないように努めましょう。
新任地では全くのゼロからの再出発となりました。現在のところ、横浜市立大学を取り巻く社会情勢・財政状況には大変厳しいものがありますが、精一杯研究と教育とに励みたいと思っております。大学研究室での仕事を朝から夜まで楽しんでおります。仕事を終えた後、毎晩大学に隣接するスーパーでその晩に食べるものを買って帰り調理するのがちょっとした楽しみです。「ちゃんと毎食に野菜を食べなさいよ!」と妻と母親から厳命されています。毎日の夕食を自炊するのは面倒ですが、なんとかこなしています。原付は狭い一方通行の路地でも手軽に通行できるので重宝ですが、運動不足になりがちです。歩くことは健康維持に重要なようです。
((※注)ここに掲載した家族の写真は1998年・2000年の頃のものです。)
大学生時代は神奈川県藤沢市に在住し、”慶應ボーイで湘南ボーイ”の名を欲しいままにするはずでしたが、その実体は野暮で鈍感で不細工な山男でした。大学院時代は茅幸二教授の指導の下に、金属クラスターの反応に関する研究に日夜没頭しました。実験装置を製作するため、金属工作室の旋盤を日々の伴侶としておりました。茅教授の薫陶を受け、自由にのびのびと研究生活を楽しみました。神戸時代のボスである
富宅喜代一教授
は当時茅研究室の専任講師でして、当時の彼は現在にもまして”鉄人”でした。東大助手時代は近藤保教授のもとでクラスターの衝突反応に関して研究しました。クラスターサイエンスと東洋思想との融合を目指して
”The Kondowism”
に帰依しました。産業技術融合領域研究所時代では、高速イオンスパッタ法による金属クラスターイオンの衝突反応装置を開発しつつ、妻の長女出産・育児を微力ながら助けました。次女が生まれて以来家の中がますます賑やかになりました。
高校・大学の学部時代は山岳部に所属し北アルプスなどに登りました。また、自転車にテントなどを積んで夏休みに北海道を一周したのも楽しい思い出です。中年太りになり果てた今は、海浜公園・称名寺界隈をぶらっと歩いた後でお茶を一杯・・がいいですね。
クラシック音楽(ベートーヴェン、モーツァルト)を聴くのが好きです。(単に聴くのみ、残念ながら演奏はできません。)
世界史に関する書物をめくるのも好きです。哲学・宗教・神学の書物を本棚に積んでおくのです。(カール・バルト、エーリヒ・フロム(読んで全て理解できたわけではない))
美術館めぐりもいいですね。(レンブラント、デューラー)