Abstract
Reaction dynamics of cluster ions, Arn+, Nan+ and Aln+, in collision with a rare gas atom was investigated by measuring the absolute reaction cross sections by using a tandem mass-spectrometer equipped with octapole ion guides. The individual and the collective properties of the particles in the cluster characterize the dynamics of the processes. In the reactions of a van der Waals cluster ion, Arn+, the individual properties of the constituent particles are reflected on the fundamental feature of the dynamics, since the cluster ion is weakly bound so that the constituent particle behave rather independently. On the contrary, the collective properties play an important role in the reactions of metallic cluster ions, Nan+ and Aln+, because their constituent particles are bound tightly and the valence electrons are delocalized throughout the clusters. The cluster deformation provides a profound effect on the dynamics because the deformation causes their electronic structures to alter. The schemes presented for the reaction dynamics are related to the introduction of a localized nature of the valence electrons in the homogeneous jellium background.The reaction dynamics of Aln+ correlates with a transition of its electronic structure from a covalent to a metallic character.
1. 序
クラスタ−は、気相と凝縮相とを結ぶ”中間相”であると考えられている。しかし、その諸性質は必ずしも孤立系と凝縮系の内挿上にはない。このような内挿からの”外れ”は気相クラスタ−が有限個の粒子から構成された非平衡系であるという特殊性に由来している1,2)。また、クラスタ−の内部自由度が有限であることによる構造の揺らぎもクラスタ−反応の研究にとって重要な因子である。内部エネルギ−が大きくなると揺らぎも大きくなり、通常の物質系では予想もできないような効果をクラスタ−の反応に及ぼしている。
このようにクラスタ−は幾何構造や電子構造に特異性を持つ「ミクロな環境」であり、これを利用して分子レベルで化学反応を制御することが期待される。そこで、我々はサイズ選別されたファンデルワールスクラスタ−および金属クラスタ−を対象として、希ガス原子との衝突反応のダイナミクスに関する研究をすすめた3-8)。絶対反応断面積の衝突エネルギ−依存性、クラスタ−サイズ依存性を測定し、反応機構とクラスターの幾何構造・電子構造との関係について検討した。その結果、反応過程のダイナミクスは、クラスターを構成する粒子の個別的な挙動ばかりではなく、粒子の集団的な挙動をも反映したものであることが明らかとなった。これによって、少数多体系としてのクラスターの持つ基本的な反応動力学的描像を確立することができた。それは、既存の原子・分子科学とは全く異なる、多体効果を取り込んだ新しい化学反応ダイナミクスである。すなわち、原子・分子が集合し、集団全体でひとつの個体のように振る舞うことによって、局所的な反応の”場”が形成され、それが反応の選択性を決定する、というものである。このような研究によって、クラスタ−の持つ物理的環境・化学的環境を用いて分子レベルで化学反応を制御する方法を確立する可能性が示唆された。
2. Arn+の衝突反応:構成粒子の個別的な挙動と集団的な挙動
ファンデルワールスクラスターの衝突反応においては、衝突エネルギーの大きい場合に(Ecol 〜 8keV)クラスター中の各構成粒子はそれぞれ独立した粒子として振る舞うが9)、衝突エネルギーが非常に小さい場合では構成粒子全体でひとつの粒子であるような挙動を示すことが知られている10)。
まず初めに、クラスターの衝突反応に関する最も基本的な描像を確立するために、幾何構造、電子構造が単純なアルゴンクラスターイオン、Arn+と希ガス原子との衝突反応に関する実験を行なった3,4)。Arn+とアルゴンの同位体、36Arとの衝突では、
Arn+ + 36Ar → Arn'+ + (n-n')Ar + 36Ar (解離) (1)
Arn+ + 36Ar → 36ArArn'+ + (n-n')Ar (融合) (2)
という2つの反応過程が観測された。解離反応の断面積は、クラスタ−サイズの2/3乗に比例して増大した。また、融合反応の断面積は蒸発反応の1/5程度であった。
解離反応の過程は、クラスターを構成するAr原子と36Arとの衝突によるクラスタ−の振動励起、
Arn+ + 36Ar → [Arn+]* + 36Ar (3)
および励起されたクラスタ−イオンからの中性原子の解離、
[Arn+]* → Arn'+ + (n-n')Ar (4)
という2つの過程からなると考えられる。
標的である36Arが衝突する瞬間にArn+中の構成Ar原子1個のみと相互作用し、他の構成原子はスペクテータとして振る舞うとする。この原子に与えられた並進エネルギ−はクラスタ−全体の並進エネルギ−および熱振動エネルギ−に変換されると仮定する。全エネルギ−および運動量が保存されるとすると、衝突エネルギ−から励起エネルギ−への変換効率、α(0<α<1)、は
α =[4(n−1)(nm2 + m1)m1] / [n2(m1 + m2)2] (5)
で与えられる。ここでm1、m2はそれぞれ36ArおよびArの質量である。励起エネルギ−が、解離に必要なエネルギ−の下限、Eth、より大きいときのみ解離が起るとすると反応断面積σrは、
σr = σg(1−Eth/αEcol) (6)
という式で与えられる。ここでEcolは衝突エネルギー、σgは幾何学的断面積である。このようにして求めたσrは実験値をある程度再現した。
非経験的な理論計算によってArn+の幾何学的な構造を決定し、分子動力学的シミュレーションを行なうことによって、解離反応、融合反応の断面積を見積り、実験値と比較すると、実験から得られた全反応断面積がArn+の幾何学的な断面積にほぼ等しいことが分かった11)。一方、融合過程はクラスタ−と標的原子とが正面衝突した場合に、クラスタ−内部まで標的原子が潜り込む過程を経て進行していると考えられる。また、衝突反応によって生成した娘イオンの分布はRRK理論12)に基づいて実験結果を再現した分布とよく一致した。
以上の研究から、構成原子間の結合が弱いArn+などのファンデルワールスクラスターの衝突反応においては、衝突エネルギーに依存して個々の構成粒子の個別的な挙動が重要な役割を演じていることが明らかとなった。
3. Nan+の衝突反応:クラスター構造の変形と価電子の対相互作用
金属クラスターの衝突反応においては、構成原子が強く結合し価電子がクラスター全体に非局在化しているために、構成原子の集団的な挙動が重要となる。衝突によって金属クラスター構造が変形することによって、その電子構造に大きな変化が引き起こされると考えられる。すなわち、縮重した複数の準位が変形によってエネルギー分裂し、価電子が2個づつ対を形成する(Jahn-Teller効果)2,13,14)。Nan+の単分子解離の実験においても対相互作用が重要な役割を果たしている15)。そのような効果は、電子状態が閉殻でありクラスター構造が球対称なクラスター、例えば9量体、Na9+ において、最も顕著に現れると考えられる。そのような理由で、最も構造が単純な金属であるナトリウムのクラスターイオン、Nan+ (n=2-9)の希ガス原子、Rg との衝突反応について研究した5,6)。その結果、解離反応のダイナミクスが、均一なジェリウムポテンシャルの上で価電子が局在化が起こっていることに深く関係していることを明らかにした。
実験の結果、下式に示すように奇数量体、Na2m+1+ から2量体、Na2、が解離するが、偶数量体、Na2m+ からはNa原子が解離することが分かった。
Na2m+1+ + Rg → Na2m-1+ + Na2 + Rg (7)
Na2m+ + Rg → Na2m-1+ + Na + Rg (8)
反応断面積はほぼクラスタ−サイズの2/3乗に比例して増大し、幾何学的断面積のほぼ80%程度の大きさになることが分かった。
電子殻モデルにおいて電子構造が閉殻なNa9+においては、例外的にNa原子の解離する過程、Na2の解離する過程の両方が観測された。この2つの過程の閾値はほぼ同じである。Na原子の解離過程の反応断面積は衝突エネルギーの増加に伴ってすこし増加しやがて減少した。一方、Na2の解離過程の反応断面積は衝突エネルギーの増加に伴って単調に増加した。このような反応断面積の振舞いは、単純な統計理論によっては理解することができないと思われる。
そこで、Na9+、Na原子、Na8+の反応に関与する価電子軌道に関する軌道相関を考慮して、Na9+からNa原子の解離する過程の機構を考察した5)。ここではNa原子の解離に関係するNa9+の価電子軌道はNa8+のジェリウム軌道とNa原子の3s軌道との線形結合によって表される。Na原子の解離過程において反応座標(z軸)に関して軸対称であると仮定するとNa9+の価電子軌道は以下のように表される。
(9)
(10)
このとき、φpとφdの軌道エネルギーは以下のように表される。
(11)
(12)
ここで、e3s, e8, v はそれぞれ3s(Na)と1pz(Na8+)の軌道エネルギーおよび2つの軌道の相互作用エネルギーである。Na解離のチャンネルは基底状態の全電子波動関数、Ψ1に直接には接続せず、励起状態、Ψ2 に接続する。また、基底状態、Ψ1 はNa+の解離するチャンネルに接続する。それゆえ、反応座標のポテンシャル交差の付近で、電子配置が変化しなければならない。交差におけるエネルギーギャップ、ΔEはエネルギー分裂の増大に伴って減少する。衝突によってNa9+の球対称な構造が変形すれば、Jahn-Teller効果によって1p準位のエネルギー分裂が大きくなることが予想される。以上の考察から、衝突エネルギーの増加に伴いΔEが減少するために、Na原子の解離につながる断熱過程が抑制されると考えられる。今回の測定ではNa+は検出されなかったが、それは衝突エネルギーが十分に大きくなかったためであると思われる。
一方、Na9+からNa2が解離する過程も軌道相関図によって説明することができる。Na2解離の場合は解離に伴う電子配置の変化は起こらないため、解離過程はエネルギー関係のみによって支配されている。Na2解離の反応断面積が単調に増加するのは衝突によってNa9+の内部エネルギーが増加するためである。
同様のスキームによって、電子構造が開殻のNan+(n=2-8)の解離過程をも説明することができる6)。例えば、偶数量体、Na2m+ (m=1-4) からNa2が解離する過程、Na2m+ → Na2m-2+ + Na2では電子配置が変化しなければならないので、反応座標上にポテンシャル交差が存在する。開殻なNa2m+の1p準位はJahn-Teller効果により分裂しているので、交差の付近で断熱過程となるNa2の解離は起こらないと思われる。
4. Aln+の衝突反応:共有結合から金属結合への遷移
孤立したAl原子ではs軌道とp軌道のエネルギーは3.6eVも離れているので、小さなAln+ではs軌道とp軌道との混成は起こらず、個々のAl原子のp軌道によって共有結合していると考えられている。一方、バルクのAlでは、s軌道とp軌道とは完全に混成して金属結合を形成している。それゆえ、クラスターサイズの増加に伴って、s軌道とp軌道との混成が進行し結合の様式が共有結合から金属結合へと遷移することが予想される。イオン化ポテンシャルの測定sup>16)および理論計算の結果sup>17)より、この遷移はサイズnが5〜10付近で起こっていると予想されている。また、Aln+の衝突反応に関して幾つかの報告があるが、結合の様式の遷移に関して未だに結論は出ていない1)。この点について明確な知見を得るために、アルミニウムクラスターイオン、Aln+とAr原子との衝突反応について研究した7,8)。
ここでは高速イオンスパッタ法を用いてアルミニウムクラスタ−イオン、Aln+を生成した。生成したイオンを8極子イオンガイド1に導き、冷却セル中でHeと衝突させ、内部温度を冷却した。4重極質量分析計1をもちいて特定のサイズのみを選別した。これを8極子イオンガイド2に導き、反応セル中でサイズ選別したAln+とArとを衝突させた。衝突によって生成した娘イオンを4重極質量分析計2によって質量分析し、検出した。
実験の結果、下式に示すようにAl原子あるいはAl+の解離が観測された。
Aln+ + Ar → Aln-1+ + Al + Ar (14)
Aln+ + Ar → Aln-1 + Al+ + Ar (15)
2つの解離過程の分岐比は、生成物の中性状態であるAln-1とAl原子とのイオン化ポテンシャルの差と相関があることが知られている18,19)。しかし、Al3+、Al8+の衝突反応においては、分岐比とイオン化ポテンシャルとの相関がない。その理由は、衝突反応の過程がクラスターに特異的な電子状態の変化と深く関わっているためである。
4-1. Al3+の衝突反応
Al3+は全価電子数が8個なので電子殻モデルでは閉殻となるはずだが、特異的に安定ではない。それはAl3+の電子状態が共有結合的であるためであると思われる。Al原子、Al+が解離する過程の閾値はほぼ同じである。Al2のイオン化ポテンシャルはAl原子よりも高いので、エネルギー的にはAl+の解離する過程が有利なはずである。ところが、Al原子が解離する断面積のほうがAl+の解離する断面積よりもかなり大きい。Al3などの電子状態については理論計算によって詳細に調べられており17)、3s軌道と3p軌道の混成は起こらず、3p軌道による共有結合によってAl原子間の結合が形成されていると考えられている。そこで、Al3+の解離過程における価電子軌道の関係を考察した7)。電子スピンの保存則より3重項のAl2と1重項のAl+の価電子軌道の線形結合では1重項のAl3+を形成できないことがわかる。一方、2重項のAl2+と2重項のAl+の価電子軌道の線形結合から1重項のAl3+を形成できることは明らかである。以上のことから、Al3+の衝突反応においてAl+の解離が抑制されるのは電子スピンの保存則によるものであると考えられる。
4-2. Al8+の衝突反応
Al7+は全価電子数が20個なので電子殻モデルでは閉殻となる。衝突反応の閾値よりAl7+の結合エネルギーは近傍のサイズよりも特異的に大きく安定であることが分かる。このAl7+よりもサイズがひとつ大きいAl8+の衝突反応からAl7+が生成する反応について検討した。Al原子の解離過程の閾値は、Al+の解離過程よりも小さい。ところが、Al原子の解離過程の反応断面積は衝突エネルギーが5eV以上ではエネルギーの増加に伴って減少した。一方、Al+の解離過程の反応断面積は衝突エネルギーの増加に伴って単調に増加した。このように、エネルギー的には有利なはずのAl原子の解離過程が励起エネルギーの増大に伴って抑制されるという実験事実は、単純な統計理論によっては理解することができないと思われる。
そこで、Al原子の解離過程が抑制される機構を理解するために、Na9+の場合と同様に、Al8+、Al原子、Al7+の反応に関与する価電子軌道に関する軌道相関を用いて考察した8)。ここでは、3s軌道と3p軌道とは完全に混成して非局在化したジェリウムを形成し、Al原子の解離に関係するAl8+の価電子軌道がAl7+のジェリウム軌道とAl原子の3s、3p軌道との線形結合によって表されると仮定する。反応座標に沿ったポテンシャルエネルギー曲線を考えると、Al原子が解離するチャンネルはAl8+の励起状態Ψ2に接続し、Al+の解離するチャンネルは基底状態Ψ1に接続する。それゆえ、反応座標のポテンシャル交差の付近で、電子配置が変化しなければならない。交差におけるエネルギーギャップ、ΔEは、衝突によるクラスター構造の変形によって、エネルギー準位の分裂が大きくなるため減少すると思われる。以上の考察から、衝突エネルギーの増加に伴いΔEが減少するために、Al原子の解離につながる断熱過程が抑制され、代わってAl+の解離が促進されると考えられる。
以上の研究から、Aln+の3量体から8量体の間で、個々のAl原子の価電子が隣接する原子との間で共有結合している状態から、クラスター全体へ非局在化した金属結合へ遷移していることが明らかとなった。さらに、そのような電子構造の変化が少数多体系としてのクラスターに特有な反応を支配していることが分かった。
謝辞
本稿の研究は、東京大学大学院理学系研究科および通商産業省工業技術院産業技術融合領域研究所において行われました。これらの研究を支えていただいた近藤保教授(現在豊田工大)、竹尾陽敏教授(現在愛媛大)に深く感謝致します。また、共同研究者の永田敬教授(現在東大)、広川淳助教授(現在北大)、市橋正彦博士、田中秀樹助教授(現在中央大)、鈴木智之氏(現在住友化学)、Dr. Oddur Ingolfsson (現在アイスランド在住)らの方々にも深く感謝致します。
参考文献
1) "Clusters of Atoms and Molecules" H. Haberland Ed. (Splinger) (1994), and references there in.
2) W. A. de Heer, Rev. Mod. Phys., 65, 611 (1993), and references there in.
3) J. Hirokawa, M. Ichihashi, S. Nonose, T. Tahara, T. Nagata and T. Kondow, J. Chem. Phys., 101, 6625 (1994).
4) M. Ichihashi, S. Nonose, T. Nagata and T. Kondow, J. Chem. Phys., 100, 6458 (1994).
5) S. Nonose, H. Tanaka, T. Mizuno, J. Hirokawa and T. Kondow, J. Chem. Phys., 104, 5869 (1996).
6) S. Nonose, H. Tanaka, T. Mizuno, N. J. Kim, K. Someda and T. Kondow, J. Chem. Phys., 105, 9167 (1996).
7) O. Ingolfsson, H. Takeo and S. Nonose, J. Chem. Phys., 110, 4382 (1999).
8) O. Ingolfsson, H. Takeo and S. Nonose, Chem. Phys. Lett., 311, 421 (1999).
9) C. A. Woodward and A. J. Stace, J. Chem. Phys., 94, 4234 (1991).
10) U. Buck and H. Meyer, J. Chem. Phys., 84, 4854 (1986).
11) M. Ichihashi, T. Ikegami and T. Kondow, J. Chem. Phys., 105, 8164 (1996).
12) C. E. Klots, J. Phys. Chem., 92, 5864 (1988).
13) M. Y. Chou and M. L. Cohen, Phys. Lett., 113A, 420 (1986).
14) K. Clemenger, Phys. Rev. B 29, 1558 (1984).
15) C. Brechignac, H. Busch, Ph. Cahuzac and Leygnier, J. Chem. Phys., 90, 1492 (1989).
16) K. E. Schriver, J. L. Persson, E. C. Honea, and R. L. Whetten, Phys. Rev. Lett., 64, 2539 (1990).
17) T. H. Upton, J. Chem. Phys., 86, 7054, (1987).
18) M. F. Jarrold, J. E. Bower, and J. S. Kraus, J. Chem. Phys., 86, 3876 (1987).
19) L. Hanley, S. A. Ruatta, and S. L. Anderson, J. Chem. Phys., 87, 260 (1987).